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山口地方裁判所 昭和34年(わ)411号 判決

被告人 瀬原倫

昭二・一一・二五生 団体役員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は『被告人は昭和三三年一二月二九日午後一一時過頃山口県吉敷郡小郡町大正通り飲食店桃華園において同僚武永正信外二名と飲酒中、右武永が同店の飲客関光三勇と口論して右飲食店前路上において右関光を殴打した等のため、急報により同飲食店にかけつけた小郡警察署勤務司法巡査浅野二郎等より「けんかがあつたのですか、知つていたら事情を説明して下さい」と職務質問を受け且つ右説明のため同署に同行を求められるや、「そんなことを言う必要はない。知つておつてもお前等に言う必要はない」と矢庭に同巡査の腹部を一回蹴り上げてその公務の執行を妨害し、その際右暴行により同巡査に対し通院加療五日間を要する上腹部打撲傷を蒙らせたものである。』というにある。

しかし、結論を先に示すなら、当裁判所は、警察官等の前記行為は被告人が同行を拒否しているのに強制力を行使して連行しようとした違法行為であつて適法な職務執行とは認められないから、これに対して暴行を加えても公務執行妨害罪の成立する余地がなく、また警察官等の行為は急迫・不正の侵害であるから、防禦上被告人においてなした右反撃に基づく傷害も、必要にして相当の範囲内の行為として正当防衛の成立を肯定すべきものと判断する。その理由は次のとおりである。

先ず本件発生に至るまでの経緯について考察してみる。

第四回公判調書中証人浜本保・同浅野二郎・同山本富夫・第六回公判調書中証人藤津博子・第一〇回公判調書中証人中原博満の各供述記載(以下浜本証言・浅野証言・藤津証言・中原証言と略称する。)「お願い」と題する電話聴取書、司法警察員作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書並びに被告人の当公廷における供述を綜合すると、昭和三三年一二月二九日午後一一時一五分頃山口県吉敷郡小郡町の丸三映画劇場前で通行人数人が喧嘩をしている旨の電話連絡を受けた小郡警察署は直ちに小郡駅前警察官派出所に対し現場に行くよう指示し、同所から警邏中の浜本保・中原博満両巡査(いづれも制服着用)が同町下郷二五八三番地通称大正通りの同劇場に急行した。同劇場附近は小郡町でも繁華街で商店が櫛比しており道路幅員は約五メートル余あるが劇場前には空地もあり、時間的にみても交通の往来は殆んどない状況であつた。同劇場前に赴いた両巡査は、附近に人影はなく喧嘩があつたかどうか確知できなかつたので、同劇場前にある姿食堂にいた藤津博子に対し「喧嘩があつたはずだが知らんか」と尋ね、同人から「それなら桃華園に入つた」旨の返答を得て、同劇場から道路を隔てゝ左前にある中華料理店桃華園に赴いた。同店舖内では二、三人がテーブルに着席し静かに飲酒していた外、入口カウンター附近で被告人及び同僚の武永正信・赤星恒太等が、同店で忘年会の二次会を済ませ帰宅すべく何やら気炎をあげていたところであつたので、同巡査等は被告人等に対し「喧嘩があつたようだが知らないか」と発問したところ被告人等は口々に「知らん、通りがかりだから関係がない」といつた上、更に「ポリが何しにきたか、邪魔だ」等と反抗的な発言をした。同巡査等は前記藤津の説明と被告人の反抗的態度から(事件に無関係なら制服の警察官の質問に対し協力的な解答をするのにそうでないことから推論)して被告人等は喧嘩の当事者か少なくともその関係人であると判断したが、店内で質問を続行すれば他の客に迷惑をかけるし外は人通りがないと考え、道路にでて事情を話すよう促したところ、先ず武永がこれに応じ次いで被告人も同店の外にでた。桃華園前の道路端で同巡査等は喧嘩の事情を説明するよう求め、被告人等はその必要がないと応酬しているその場に間もなく(数分して)本署から浅野二郎・山本富夫・藤本宏光の各巡査をのせた大型ジープが応援に到着し、車は被告人等のいた場所から五―六メートル小郡駅に寄つた道路ほゞ中央辺に頭部を同駅と反対に向けて停車した。ジープからおりた浅野巡査等は被告人等と対峙している浜本巡査に近づき、浅野巡査は同巡査から「被告人は喧嘩の現場にいたらしい」旨簡単な説明を受け、山本巡査は浜本巡査が被告人に対し職務質問しているのをみて、共に被告人の浜本巡査に対する態度が反抗的・拒否的であることを併せ考え、両巡査も被告人を喧嘩の当事者か少なくとも関係人であると判断し、浜本に替り被告人に事情の説明を求め、拒否されるや本署まで同行を求めたがこれをも峻拒され、ほゞ一〇分近く互に応酬しもみあつていたこと、その間被告人は飲酒のため相当興奮して浅野巡査等に侮辱的言辞を弄した上「不当逮捕だ、弾圧だ逮捕状をみせよ」等とはげしく抗議し道路上には二〇名前後の主に映画帰りの野次馬がこれを取りまき見物していたこと、以上の事実が認められる。

ところで、以上の経過をみた上被告人が浅野巡査に暴行を加えることになるのであるが、その暴行に及ぶ接着した前後の事情、殊に警察官の被告人を同行する手段・方法の態様事実については、本件の判断に当つて次の三に大別される異つた認定の用に供しうる証拠が存し、それぞれ微妙な点で喰い違いをみせ、そのいづれを採るかによつて結論に決定的差異が生ずるように思われる。そこでこれも便宜上(イ)現場にいた警察官側の証言、(ロ)現場にいた被告人側の証言(被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書中の供述も含む)、(ハ)現場にいた第三者の証言の三項目に分け、以下順次説明を加えることゝする。

(イ)  現場にいた警察官側の証言

前記山本・浜本・浅野・中原各証言及び第一〇回公判調書中証人浅野二郎・同藤本宏光の各供述記載(以下これも浅野証言・藤本証言と略称する)を綜合すると、次のとおりである。浅野・山本各巡査等は桃華園前で被告人に対し何回となく事情を話してくれと説得したが「必要ない。ポリは邪魔だ。馬鹿たれ、不当弾圧だ」等と喰つてかゝられ、被告人の勢におされるような態勢で同巡査等はあとずさりしながら同所から停車中のジープ後尾まで一団となつて移動した。被告人は容易に説得に応じないし、道路上には二〇名位の見物人が集まり、交通の妨害になるばかりか被告人の体面にもかかわると考え、ジープ後方辺で本署まで同行を求めたところ「不当逮捕だ。行く必要はない」と叫んで浅野巡査の腹部を蹴つたので、公務執行妨害罪で逮捕し、浅野・山本各巡査等がつかまえジープの後部座席にのせた。無理に車にのせたゝめ蹴られたものではない。蹴られるまでの間終始被告人の勢に圧倒され勝ちで、警察官は極力低姿勢で説得に当り、何回となく任意の同行を求めたが被告人の体に手をふれたり引つぱつたことはない。

(ロ)  現場にいた被告人側の証言

第九回公判調書中証人赤星恒太の供述記載及び被告人の司法警察員清水熊雄に対する供述調書(四丁分)同人の検察官に対する供述調書を綜合すると次のとおりである。

警察官が同僚の武永を本署に連れて行こうとするので、被告人がその理由をたゞすと、浅野巡査がいきなり「お前も本署にこい。くれば判る」被告人の腕や手をつかみ、或は肩をおさえ、桃華園前からジープの方に無理に引つぱつて連行しようとするので、被告人は「理由がないのに何故引つぱるか、逮捕状があれば見せよ。不当逮捕だ」等といつて抗議したが聞きいれず、ジープ後尾まで強引に連行され、車にのせようとしたので立腹し、かつ逃げるため浅野巡査の腹部を足で一回蹴つた。

(ハ)  現場にいた第三者の証言

前記藤津証言と同人に対する証人尋問調書の記載(以下これも藤津証言と言う)及び証人松村政一の当公廷における供述(以下松村証言と略称する)を綜合すると次のようである。藤津は当夜丸三映画劇場右前にある姿食堂からガラス戸越しに右状況をみており、松村は当夜通行人として状況を目撃していた。

被告人は桃華園の前から行くまいとしているのに警察官はこなければいけないという態度で、手をつかむか引つぱるかはつきりしないが両手をかゝえるようにして引つぱりその横とうしろに各一人ついてジープの後部につれて行つた。手とり足とりして無理矢理に引つぱる状態ではないが、嫌がるのをどうにか連れて行こうと感じであつた。それから被告人をジープに乗せたが被告人が一人でのつたのではなく、浅野巡査等が数人でおしあげるようにして後部荷台に乗せたのであり、のせられるとすぐ被告人は自分でとびおり矢庭に浅野巡査の腹を蹴つた。そのためまたつかまえられジープにおしあげられた。その場所には浅野巡査の外制服一人私服二人の警察官がおり、見物人も周囲にいるので逃げるにも逃げられない状況であつた。

以上の通りで右三者の見方は単に立場の相違として無視する訳にいかない重要な問題が伏在しており、何れが真実で何れが然らざるか慎重に検討しなければならないであろう。

先ず第一に考えなければならないのは本件は公務執行妨害とそれに伴う傷害という通例の事件ではあるが、被害者は強力な公権力を背景に犯罪の予防・捜査及び治安の任に当る警察官であるのに、加害者とされる被告人は共産党員で山口県中部地区委員長として小郡町近辺では相当知られた顔の主であつて、現に現場に赴いた浅野・山本・浜本各巡査等はそれを充分知悉していた(同人等の証言参照)ことである。つまり事件の当事者は犯罪を捜査し治安の任にある警察側であるのに対し、他方は権利意識が最も強く加えて平素から警察に反抗的な共産党員のしかも幹部であつて、現場での空気は最初から相互に尖鋭な感情を露骨に示し、あくまで意地を通そうとする気配が濃厚であつた(このことは前示各証拠上充分認められる)という特殊性を見逃してはならないことである。第二に、経験則の教えるところによれば一般的にみて、事件の当事者は自己の被害と相手方の攻撃を過大に、自己の攻撃と相手方の被害を過小に評価し主張するものであるが、本件では特にこのことを度外視しては証拠の正しい評価は不可能に近いのみならず右のような特殊性からみてこのことは一層明白且つ顕著に肯定できるのである。前記(イ)及び(ロ)に記載した証拠内容を対比し、また(ハ)の認定証拠を併せ検討するならば、前二者のそれが如何に誇張が多く矛盾に富むかを知り得よう。第三に、これに反し(ハ)に記載した藤津・松村の供述は同人等が純然たる第三者として何れにも利害関係がなく、この点だけからしても事件の当事者たる前二者のそれよりはるかに信用性に富むとみてよいのみならず、同人等の供述内容自体も極めて自然で誇張がなく、客観性に富んでいることが認められる。

このようにみてくると、本件では前記の点に関する証拠の評価については警察官側・被告人側いづれのそれも一面的で誇張や矛盾が多く、信用性に乏しいうらみがあつて排斥せざるを得ないのに反し、前記第三者たる藤津・松村の供述特に藤津のそれは客観的で信用性に富み事実に最も近いものとしてこれを採用するほかないのである。はたしてそうだとすれば被告人が浅野巡査に対し暴行を加えた前後の情況に関する限り前叙藤津・松村の証言するところによつて認められる(ハ)に記載したような経過であつたと認定するのが相当である。

なお被告人が浅野巡査に暴行を加えた時期即ち前記(イ)のように暴行が先か(ハ)のようにジープに乗せられた後飛びおりてからしたのかの点につき、被告人は司法警察員清水熊雄に対する供述調書(三丁分)及び検察官に対する供述調書中で、右認定にそぐわない趣旨の(つまり前記(イ)の警察官側証言に近い)ことを述べているのであるが、両調書ともその記載極めて簡にして要を失し、それによつては当時の状況を充分に把握しがたいばかりか、被告人の司法警察員清水熊雄に対する供述調書(四丁分)中には必ずしも右認定に相反するとも考えられないような趣旨の記載もみられる。とまれ被告人を取り調べた捜査官において、必ずしも右の点に関する問題意識を充分持つことなく尋問し、調書を作成したやにも疑わざるを得ないような記載内容であり、このことは遺憾ながら取り調べを受けた被告人についても妥当し、捜査官に対するいたずらな反感にのみとらわれ冷静な自己主張や事実の客観的叙述を怠つたと評せざるを得ない。尤も被告人の当公廷における供述は、右と異なり比軽的誇張や粉飾を捨ておゝむねあるがまゝに近い事実を記憶通り述べているとみて妨げないことは、前記藤津松村の証言内容と合致するところが多いことからも窺いうべく、その限りでは必ずしもむげに排斥しがたいものがあり、要するに前記被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書の存在は前段認定の事実を左右するに足りないのである。

そこで以上認定した事実を前提として浅野巡査等の職務執行の適法性につき吟味してみよう。思うに、公務執行妨害罪が成立するためには公務員の職務行為が適法でなければならないかどうか、その適法性の要件は何か等について、周知のように議論が多く帰一するところを知らないのであるが、少なくとも公務員の職務行為がその相手方に対し強制力を行使する場合もしくは強制力の行使を伴う場合(例えば逮捕・押収・強制執行等)には、適法な職務行為でなければ本罪の保護の対象となり得ないと解すべきである。けだし公務員が国家権力の表徴として強制力を伴う行為をなす場合には、常に憲法で保障する国民の基本的人権を直接侵害する危険が多分にあり、従つて公務員たるもの一般の職務に比し細心の注意と格段の慎重さをもつて法の定める要件を履践するのでなければ、かような事態の発生を防止し根絶することは不可能に近く、従つてそれにもかゝわらず敢えてした違法な職務行為は、もはや同罪の対象として保護するに価しないからである。警察官職務執行法に定める同行も、一歩その手段方法をあやまれば、直ちに国民の自由を不当に侵害し逮捕状なくして同一の目的を達する危険性を蔵した行為であるという意味において、右に指摘したところと区別する理由がないから、やはり同様に適法性が要求されていると解さなくてはならない。

ところで警察法第二条第一項は、警察官に対し犯罪の予防鎮圧及び捜査その他広汎な使命を負わせ、この使命を遂行するため必要な手段として警察官職務執行法は具体的権限を賦与している訳であるが、警察法第二条第二項は「警察の活動は(中略)いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない」旨、また警察官職務執行法第一条第二項は「この法律に規定する手段は前項の目的のため必要な最少限度において用いるべきものであつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあつてはならない」旨それぞれ規定し、もつて極力警察官による権限の濫用を戒めている。国民の基本的人権に至大な関係をもつことからして明文をまつまでもなく当然のことに属する。この精神に立脚する以上、警察官職務執行法の運用・解釈に当つては厳正な態度が必要であり、同法第二条に謂う質問・同行は同条に定める要件が客観的にみて存在し且つ同条に定める方法に基づいてのみ許され、もとよりその判断を警察官の恣意的認定に委ねる趣旨でないことは多言を要しないであらう。

これを本件についてみるに冒頭にも認定したように、浜本巡査は現場に到着してから喧嘩の気配が何も感ぜられなかつたので、姿食堂の藤津博子に尋ねたところ「それなら桃華園に入つた」旨ただそれだけを聞き、桃華園では一杯気嫌で気炎をあげていた被告人等に尋ねたが全然相手にされず、却つて反抗的な態度にでられたことから、直ちに被告人等を喧嘩の当事者か少なくともその関係人であると判断し、同人等を店外にだして質問を継続したのである。しかもその後応援にきた浅野・山本各巡査に至つては、浅野は浜本巡査から唯「被告人等が現場(喧嘩の)にいたらしい」とただそれだけを聞き、また山本は浜本巡査が被告人に職務質問をしているのを目撃しただけで、両巡査とも被告人の反抗的態度と併せ考え浜本同様被告人を事件の当事者ないし関係人であると断定しているのである。けれどもかよう軽卒な判断こそまさに本件の問題を惹起した根本の原因であつたといわざるを得ない。けだし、現場には喧嘩を目撃していたとおぼしき藤津博子がおり、桃華園には店員や他の飲酒客がいたのであるから、同人等から明確且つ詳細に事情を尋ねた後そのように判断しても決しておそくはなくむしろそうすべきであり、またそうすれば別の状況判断が生れたかも知れないのに(事実本件審理上被告人が喧嘩の当事者ないしその関係人であつたことを認める資料は関光三男の証人尋問調書を除いて一つもない。同調書の記載内容自体に徴し全く信用するに足りない。)かような手をつくしたと思われる証左は全然ないのである。(尤も浜本証言によれば、同巡査は桃華園の女中通称すみちやんに「喧嘩のことを知らないか」と質問し「それならあの人達(被告人等)に聞けばわかる」という程度の解答を得ているが、それは同巡査か浅野巡査が到着してから同人に冒頭認定の如く「被告人も現場にいたらしい」旨の説明を与えた後のことに属する)他方現場の状況についても既にみたように、道路には主として映画帰りの野次馬が二〇名前後いた程度で、夜間もおそく狭隘な商店街であるため諸車の通行も極めて稀で、警察のジープすら(丸三映画劇場前の空地に停車し諸車通行人の交通妨害を避けるべきところそれをせず)道路のほゞ中央に停車していたことからも窺知されるように、格別現場での質問が(被告人において応ずるかどうかは別論として)交通の妨害になるおそれはなかつたと思われる。もし真に交通の妨害をきたすなら、附近に質問をするに適当な道路以外の空地はいくらでもあるから、事理を説明してそこに移動することは決して至難ではなかつた筈である。もともと被告人等は桃華園内にいたところを店内の客に対する迷惑を理由に道路に出され、道路にでれば交通妨害等を理由に本署まで同行せよというのでは、結果的には最初から本署に同行する計画であつたとみられてもやむを得まい。それはともかくとして、被告人は現場で不当逮捕だ弾圧だ等と大声でどなつて見物人にアピールしていた程であるから、その場での質問が被告人に不利であつたとも考えられないのである。前記各巡査の証言するところ自体から明らかなように、同巡査等は当夜何がなんでもとにかく被告人を本署に連行したいと言う執念にも似た執ようさが窺がわれ、その真意が奈辺にあつたか理解に苦しまざるを得ない。そうしてみると浅野巡査等は特に緊急の必要がないのにつくすべき手をつくさず首肯するに足る合理的根拠なくして被告人を喧嘩の当事者か少なくとも関係人と頭からきめこみ、問題の喧嘩は既に相当前に終つており、被告人が共産党員であつて職務上その顔を知りながら逃走する気配がないのに、質問を拒否し反抗的態度を示したからとて、交通妨害等に名をかり直ちに同行の挙にでたものとして、右行為は警察官職務執行法第二条第一項・第二項の要件に適合しないとの謗を免れないであらう。しかし同条項の要件に適合しない同行が、直ちに違法な職務執行として公務執行妨害罪の対象とならないと速断すべきではなく、やはり最終的にはその同行の方法が任意なりや、はたまた強制力を伴うかによつて決すべきものと考える。何故なら同条項に適合しない同行であつても相手方において任意に応ずる以上、その違法性は軽微であつて特に問題とする理由は少ないからである。

けれども本件において浅野巡査等のした同行の方法は既に指摘したように諸般の事情から合理的に判断して喧嘩という暴行事件の加害者ないしその関係人であるとする事情がないにもかゝわらず、終始逮捕状がなければ応じないと拒否している被告人の両手をかゝえるようにし、前後横を取り囲み、桃華園前から約五―六メートル引つぱつてジープ後方まで無理につれて行き、加えてその身体をつかみジープの後部座席におしあげて乗せたのであるから、かような方法は如何なる意味においても到底任意の同行とは解せられず、右は同行に名を藉りた強制力によるいわれなき拘束か、被告人の意思に反する連行であつて、職務執行の正当な範囲を著るしく逸脱しており、結局この点において同法第二条第三項に違反する違法な職務行為といわなければならない。

してみれば、被告人においてこの拘束を脱すべく、ジープから飛びおり、すぐ浅野巡査の腹部を蹴つた暴行は、ひつきようするに同巡査等の違法な職務行為に対する反撃として公務執行妨害罪の成立するいわれがなく、またその結果発生した傷害は被告人が立腹激昂したため及んだことが一因であることは否定できないとしても、同巡査等の前記行為が急迫不正の侵害であることは疑問の余地がないから、これを排除し自己の権利(自由)を防衛すべくやむを得ずなしたもので且つ相当の範囲内の行為であつたことは既に顕われた諸事情から充分認められるので、刑法第三六条第一項にいう正当防衛行為として犯罪が成立しないというべきである。

よつて本件公訴事実は罪とならないから刑事訴訟法第三三六条前段を適用して被告人に対し無罪の言い渡しをする。

(裁判官 中野武男)

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